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2004.01.31

ココログを1ヶ月使っての集計

記事数:38 コメント数:14 写真:35枚、
使用ディスク容量:約1.5メガバイト(全30MB中の5%)
このペースでゆくと、20ヶ月目には満タンか?(^_^;
やはり写真が多いと容量を食うんだね。。。
30MBって多いと思ったんだけど、そんなもんだよね。
20ヶ月後にディスク容量が増えてるのを期待(笑)

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「日本書紀」「先代旧事本紀」においては、スサノオは朝鮮半島にあった新羅のソシモリという地に高天原から天降られたとされ、
また、「古事記」においては「三韓征伐」を成し遂げた神功皇后は、新羅より渡来した天日槍の子孫であるとされている。
だが、これは「古事記」「日本書紀」にともに記述のある「三韓征伐」において、神功皇后の夫である仲哀天皇が朝鮮半島の存在を知らず否定した事と矛盾している。
スサノオの伝承を知る天皇家の人間であり、更に新羅から来たという天日槍の子孫である神功皇后を妻に持つ仲哀天皇が、朝鮮半島の存在を知らなかったというのは、
考えてみればおかしな話である。

「古事記」は、当時天皇以上の力をもっていたとされる藤原不比等の心証を損なわぬように記されねばならなかった。
藤原不比等の父である中臣(藤原)鎌足(或いはその父の御食子)は、実は新羅と同じく朝鮮半島にあったとされる百済からの帰化人であったのではないかとも言われており、
「続日本紀」などにはそれを示唆するともとれる記述が存在している。
私は鎌足は元々は三韓征伐の際に百済を統治するなどの為に百済に派遣されるかして百済人と婚姻し混血した天児屋根命の一族の者の子孫であり、
その縁で鎌足は日本に来た際に同じ天児屋根命の末裔の中臣家に養子として迎えられたのだと考えていますが、
もし鎌足や不比等、或いはその子孫である藤原氏が、今の韓国、朝鮮人やその血を引く者達のように民族的自負心を強く持っていたのならば、
「三韓征伐」自体を否定できないのならそれを行った神功皇后は元は自分達と同じ民族だったと捏造しようとしても不思議ではない。
百済ではなく新羅としたのは、内心嫌っている故に完全に自分達と同じとするのを嫌がった故であるとも取れる。
「古事記」口述者の稗田阿礼はおそらく「矛盾」という形で真実を隠し、そしてその目論見は、「日本書紀」にもこの「矛盾」が残っている通り成功している。
天日槍は本当はおそらく朝鮮ではなく、かつては同じ日本にあったが当時の大和朝廷とは違う国の人であったと私は考えている。

「日本書紀」も「先代旧事本紀」も不比等の時代、及びその子孫である藤原氏が権勢を誇っていた時代に成立したものである。
これら古記の記述よりスサノオは朝鮮人であるという説が存在しているが、これら古記には「子と共に天降った」とある通りにこれは誤りである。
スサノオが朝鮮人であるというのならば古記の「天降った」とは地上に生まれた事と読む事になり、
スサノオが朝鮮人の間に「人として」生まれたという事になるが、現界において(おそらく霊界においても)自分の子供と共に出産される人間などいない。
しかし、牛頭天王とスサノオは同じ存在であり、またスサノオが子(部下)と共に日本を離れ朝鮮に渡り、後にソシモリと呼ばれるようになった地を訪れた事があるのはおそらく事実である。
スサノオがソシモリの地を訪れた事などを日本が知ったのは、後に日本が朝鮮と関わるようになった際に当時の朝鮮に残っていた地名や史跡、伝承からそれを知ったのだと推測される。


はじめは影だった。

彼の父は殺された。しかし世間一般では病死という事にされた。
それは彼の父が殺されたという事が弱みとなり、全てが台無しになる事を避ける為だった。
父の死からほどなく、彼が父の代わりになった。
しかしすぐに彼もまた殺された。彼の父の死の時と同じく敵対勢力の手によるものと、彼らは偽った。
彼の父が彼らに殺された事は、既に遠く外国にまで噂が広まっていた。
彼はいずれその噂を聞いていただろう。そうなれば、いずれ自分達に歯向かうようになる。だから彼らは彼を殺した。
彼の周りの人達は、彼の代わりを立てねばならなくなった。
しかしそれが成るのを目前に彼の父と彼と立て続けに二代も殺されたと世間に知られれば、全てが台無しになるかもしれない。
それに彼の代わりになった者もまた、殺される可能性が高かった。
だから彼らは自分達の中から影を立てた。彼の周りの人達には、それが成り上手く軌道に乗った時に全てを明かすと偽って。
だから、彼の周りの人達は、影が彼の代わりになる事を黙認した。
彼の死は世間に隠された。影が彼だという事になった。
それが成ったのは、影が彼の代わりになって一年も経たない内の事だった。

彼の周りの人達は、彼らの事を怪しんではいた。しかし確たる証拠は掴めず、また、彼らに歯向かえば彼や彼の父のように殺されるのは目に見えていた。
そして何より、それを成すには彼らの力が必要で、彼らと反目する訳にはいかなかった。彼の周りの人達には、力が無かったのだから。
だから時を経て彼らの言葉が嘘だとはっきりとわかり、全てが手遅れになって尚、彼の周りの人達にはどうする事もできなかった。
影は、彼になった。
はじめは影だった。

それ以前の彼と、父の代わりになった後の彼とは、何もかもが違いすぎていた。
彼自身が変わったというには全てがあまりにも急速で急激すぎる変化だった。

                                              田布施 蟻巣

重要なのは、攻撃的な教えにも「裏」があるという事を示す事であり、つまりは戦いの際、攻撃的な教えをそのままにとるかこの解釈をとるか、
「今の場合どちらが正しいのか?」と常に彼らに思索する余地を与える事が出来るようになるという事であり、
つまりこの解釈は攻撃的な教えを根拠にした戦闘を僅かにでも正当化し難くし、また相反する教えの間で迷う人々を少しでも戦いに向かわせ難く出来るという事である。
是非とも世界平和の為に今日本で頑張っている左の方々にはテロ組織とは言わずとも欧州などのイスラム移民らの前などでこの解釈を国会デモのように声高に主張して頂きたいと言いたい所ですが、
左の方々は自分達さえ非武装ならば攻撃されないと信じているようですが、十中八九殺されるとは言わずとも攻撃はされるだろう為止めてください。

ムハンマドが戦ったように、私はイスラムの攻撃的な教えが全くこの解釈の通り内面の戦いのみを指すとは考えていない。
例えば右頬を打たれたら左頬を差し出せというキリストの教えを言葉そのままの通りに解釈し、無抵抗主義を貫いた為に「アメと鞭方式」で悪人に「調教」されて最後には魂まで悪に堕ちるキリスト教徒のように、
或いは、「悟り」を単なる精神的境地、或いは思索や瞑想で至れる単なる思想の一種など、自己の内面だけのものだと勝手に解釈し、外の問題に対峙する事を避け続けた結果全く現実に即さない机上の空論に到達し、
勝手に悟ったと思い込んだまま無意味な自己満足の中で死んでいく仏教関係者達のように、内面的な戦いばかりでも人は道を誤るのであり、
外敵と戦う、というより外の問題と対峙しなければならない場面は確かにあると思っている。
とはいえ、今のテロ組織などのやり方は曲解も甚だしい間違ったものだと言えるだろう。

コーランはイスラム教の聖典であり、故にそれが燃やされたり破り捨てられたりした際にイスラム教徒は怒って暴れ、時にそれは殺人にまで発展する事がある。
しかしイスラム教徒にとって大切なのは物質としての書ではなく、その中の教えそのもののはずであり、
大切な教えが書かれた書が粗末に扱われて怒る気持ちはわかりますが、
しかしもはや世界中にコーランが存在しムハンマドの教えが完全に失われる恐れの無い現在において、
その為に暴れまして殺人まで犯すというのは、コーランと言う物質の書そのものを神に見立てて崇めているようなものであり、
その心性は彼らが禁じる偶像崇拝者となんら変わりがないように個人的には思われる。

物には霊が宿る。悪霊も多く宿るが、中には神霊(天使、仏)が宿る事もある。
悪霊が宿る偶像は確かに破壊しなければならず、また争いを好み人を貶める事や欲望を貪る事をよく行う穢れた心性の下では悪霊が宿る事が多いが、
しかし物に宿り働かれる神霊もある為に何でもかんでも破壊すればいいという訳では無い。
イスラム、キリスト、ユダヤ教などで偶像(或いは特定の対象物)へ拝む事が禁止されているのは、西洋人達の心性に依る所も大きいと思われる。
また「祈り」(礼拝や供養という形式そのものの意味では無い)は、なるべく主神にだけ(主神に向けて)行うべきであるという事も確かなようである。

とかくイスラム教の開祖ムハンマドの言行を元として作成されたイスラム教の法「シャリーア」の一般的な解釈によれば、強姦は加害者が罰されるべきであるとされている。
しかし多くのイスラム国家は何をどう曲解したのか女性が加害男性を訴える際にはイスラムではその証明には4人以上のムスリム男性の証言が必要だという事にしているようであり、
そして強姦などは大概人の居ない場所で行われるのであり、つまりほぼ全ての場合において強姦された女性は訴える事も出来ずこれらイスラム国家では逆に女性側が男性を誘惑したとして被害者の女性が処刑されている。
強姦の立証に四人の男の証言が必要、などという訳のわからない法律はムハンマドの教えにも根拠が無い上に、
脳みそか良心が少しでもあれば欠陥があるのはすぐにでもわかるはずであり、このような法がこれらイスラム国家において大きく問題視される事も無く受け入れられているなどは、
全くムスリム共が最も大切な内面のジハードを怠った結果としか言えず、
またこのようなムスリム共の中にはイスラムの中の寛容の教えや節制の教えを全く無視し、イスラム教の女性でなければ強姦しても罪にはならないという考えの者達までいる始末であり、
果たして本当に神の名を汚しているのは誰なのかという話である。

イスラム教に入れば天国にいけるというのなら、
イスラム教徒の国といいながら同じイスラム教徒ばかりを殺し悪逆の限りを尽くし、
神の為といいながらその実、イスラム国家ではない某国等がイスラム教を内部から破壊する為に使っているに過ぎないテロ国家のメンバー達も天国にいけるという事になる。
イスラム教徒達もせっかく天国にいってもそこでまたテロ国家のメンバー達に再び会う事になるとなれば堪ったものではないだろう。

各地でテロや戦争を起こす侵略的なイスラム過激派達は、自分達はムハンマドと同じ事をやっていて、最もイスラムの教えに忠実であると思っている事だろう。
だが、彼らは最も重要な事を無視している。
ムハンマドが侵略は行ったのは神からの直接の命令や許可があったからであり、神の直接の命令や許可なくば侵略を行わなかったという点である。
コーランの教えに従っていると彼らは言うだろうが、しかしコーランには寛容の教えの方が多く、
攻撃的な教えにのみ従っている者達は、しかし大部分を占める寛容の教えに反している為に、
神の教えの一部分に従っている一方で、同時に彼らは神の教えの大部分に反してもいる。
故に、神からの直接の命令や許可なく、ただムハンマドの行動の表面だけを真似ているだけの彼ら侵略的なイスラム過激派達は、
最も肝心な部分が欠けている「似て非なる者」、全く以って「単なるまがい物」の「偽イスラム教徒」であると言えるだろう。

これらのような旨の事を、世界中のイスラム移民達やイスラム国家の者達に広めてみるのも、あるいはいいかも知れません。
先に書いたように直接に言うのは危険なのでなるべくは避けるべきですが。

私達の国である日本は神武天皇の東征よりはじまり、天皇は神武天皇の末裔である。
イスラムと日本とは遠いようだが、しかしどちらもはじめは神意を受けた者が武力によって開いたのであり、
実は日本とイスラムは似ていると言える。

「付加価値」と「利息」が存在する限り、未来においては常に「現在より多くのカネ」が必要になり、その需要を満たす為に社会全体で「カネ」は増え続ける。
また、労働で生み出された生産物などその「労働の痕跡」が消費や劣化で消えてしまうなら、社会に残るのは労働者に支払われた「カネ」のみであり、
つまりは資本主義であろうが社会主義、共産主義であろうが、経済活動が行われるならば、貨幣というものが存在するならば、必ず「カネ余り」というものが発生してしまう。
この「カネ余り」で余ったカネが社会に平等に再分配されるならば(額面上の収入の増加を伴う)インフレとなるが、実際にそうなっていないのは、
この余ったカネが、社会の一部の者達に集中し続けるからである。つまりは「格差」と呼ばれるものが生まれるのは「カネ余り」故であり、そして「カネ余り」は貨幣が存在する限り必然的に発生する。
また、これは受け売りであるが、負債、所謂「借金」というのも、それを取り立てる側から見れば債権、つまり一種の財産であり、つまりは「カネ」である。
「負債」「借金」も「カネ余り」の一種の現れであり、つまりは「カネ余り」が増えれば増えるほど、社会全体、国家全体の「借金」も増え続ける事を意味しているのであり、
今ほぼ全ての国が借金まみれになり、借金なしではとても運営できなくなって来ているのもこの為である。

この状態は永遠に続くものでは無い。格差が拡大し続ければ次第にカネを搾取できる下層が消えていき、資本家などの債権者達はカネを搾取できなくなり、
そして「債権」は相手がカネを出せる間は財産だが、相手が払えなくなった途端、多くの場合「負債」へと変わる。
一部に「カネ」が集中し続ければ、必ず最後には破滅が訪れる。
貨幣経済に常に付きまとうこの「カネ余り」をどうにかしなければ、それを助長し加速させる「債権」というものをどうにかできなければ人類は滅ぶ。

ただし、共産、社会主義ではこれを解決できないのは、労働でさえその労働の痕跡が消えればカネだけが残り余る事からも、
また、かつてのソ連や、現在の中国、北朝鮮などの共産主義国家において実際に「極端な格差」が発生している事からもこれは自明である。
労働の報酬をカネではなく完全に「物」だけにする事など不可能である。ましてや指導層も含めた国中からカネを完全に消す事等。仮に出来たとしても「物」が「準貨幣」として機能しはじめるなら結局は同じ話である。


イスラム教の聖典であるコーランにははっきりと異教徒を殺せと書いてあり、またイスラムの開祖でありコーランを記した預言者ムハンマド自体も戦争によって実際に異教徒を殺している。
だが、コーランの中で異教徒に対し攻撃を促す部分は少なく、大部分の教えは異教徒に対しても「寛容」を説いたものであり、信仰を無理強いする事を禁ずる教えもコーランには存在している。
イスラム教の多くの者が、この寛容な教えと攻撃的な教えの間で揺れている。ここで一つその均衡を「平和な方」へと傾ける提案をしようと思う。

神話や神の言葉とは複数の意味を持つ事が多く、つまり「密意」があるものであり、それはコーランにおいてもおそらく例外ではない。
故にコーランの中の異教徒を殺せという教えもまた、言葉そのままではなく違う意味に取る事が出来る。
つまりはコーランでいう異教徒とは自身の心の中にある神の教えに反し冒涜しようとする欲望なり悪意なり弱さなりの「自分自身」であり、異教徒を殺せとは自身の中のこれら悪心を殺せという意味に取れる。
異教徒が喜捨を差し出すなら許せとは、喜捨を差し出すとは自身が起こした神の為の行動や、教えを守り自身を律し続けるなどの神に捧げた具体的な行動を意味し、
しかし自身を責めたり我慢し続ければ心は辛くなり時に耐えられなくなるから、ある程度神の為の行動や教えを守る、つまり喜捨を差し出したのなら、
たまには自分の中の欲望や弱さという異教徒に自由を許してやれよという事を意味しているとも取れる。
また、同じようにメッカとは心の中の聖地、つまり心や記憶の中の信仰の礎たる侵され難い心の聖域という意味に、
ムスリムとはイスラム教という宗教団体に所属している者という意味ではなく、真の神の意に従い行動する者という意味に、
啓典の民とは単にユダヤ、キリスト教徒という意ではなく、神の意を直接は汲めないが預言者達の残した聖典からそれを断片的に知れる不完全なムスリムという意味にそれぞれ取れる。

このように考えれば、攻撃的な教えは自身の心の中の戦いという平和的な教えに解釈できる
この解釈を単なるこじつけだと、特にテロ組織の者達や攻撃的なイスラム指導者などは言うだろうが、
しかしジハードとは本来戦いを意味するのではなく神の為の努力を行う事を意味し、またムハンマド自体、戦争は小さなジハードで心の中の戦いこそが大きなジハードだと心の中の修跋をこそ重要視していたらしい事からも、
この解釈はイスラムの精神に合致した解釈であると言え、
この解釈を完全に否定し、攻撃的な教えをそのままの意味でしか認めぬ者達は、思慮浅く神の意を汲めぬ愚か者であると言えるだろう。

私はこの文章の内容が広がる事を望んでいません。またこの文章によって創価を如何こうしようとも思ってはいません。
およそ池田大作が「2たす2は5」だと言えば(250年を700年だと言えば)心の底からそう思い込めるような人間も多い学会員達に対し、
この文章に書いているような事を言った所で話が通じるとは私は思ってはいませんし、
またここに書いているような事を学会員達の前で公言する事は「極めて危険な事」でもあると私は思っています。
しかしこのような邪教を完全に放置していてはどうにも悪い方にばかり進む事になってしまう為、せめて大事にならない範囲で少しでも啓蒙しようと思った為にこの文章を書いた次第です。
だからこそ、この文章は出来る限りこれを受け取ったあなただけで留めておいてください。
しかしもし、あなたの親しい人などが創価などの「南無妙法蓮華経」と唱える団体と関係があるのならこの文章の内容を、
「バレないように」それとなく「知らせる」のも、或いはいいかも知れません。
しかし危険なので創価などのそれら団体から抜ける事を薦めるべきではありません。

もし学会員の方などでこの文章を読んで腑に落ちる所があり、日蓮の信仰を信じられなくなったならば、
先に書いたように果たして今まで信じていたものを失くして不安に思われるかも知れません。
例えば日蓮系以外でも天台宗などは妙法蓮華教を日蓮よりも前に最高の経典としていたので、
もし改宗されるなら天台宗に行かれるのが今までの信仰からもまだとっつき易いかも知れません。
また、仏教ではなく神道系であり、一応は元仏教系だった方からすればとっつき難いとは思われますが、
私は、京都の「綾部」と「亀岡」に本部を置く「大本」という宗教団体の信者であり、
私自身はその「大本」の教えを信仰している為、もし改宗されるならば私個人としては大本への改宗をお薦めいたします。

なお、私がこのような事を書いているのは、あくまで私個人の個人的な感情や考えからであって、大本にも隠れて行っている為、
この文書の作成、拡散について大本は一切関係が無いという事を断わっておきます。


今までのような仏教系ではなく神道系に信仰を変える事に抵抗を感じられるかもしれませんが、
神仏習合という考えがあるように神と仏とは決してかけ離れた存在ではありません。

仏典によれば神よりも仏の方が格が上だとされているが、仏典においての神とは釈尊(釈迦)の生きていた時代から既にインドで広まっていた、現在のヒンドゥー教の前身であるバラモン教の神の事であり、
仏典に言う所の神とは日本の神々やキリスト、ユダヤ、イスラムの神とは違う存在である。
バラモン教は上の階級の者が下の階級の者に何をしても許されるという悪名高きカースト制度を生み出し、
また釈尊が否定した無意味な苦行を人々に強い、苦行によってのみ魂は救済されると説く邪教であり、
当然そんなバラモン教の神とは真正の神ではなく基本的に悪霊の類、或いは(歪められた)キリスト教が土着宗教の神を悪魔としたように卑小化されてバラモン教に習合された神である。
故に仏典において仏より格下なのはバラモン教ヒンドゥー教の悪霊の神のみの話であり、日本の神々は基本的にそこには含まれない。
だからこそ、神と仏とを同格と考えなければ成り立たない「神仏習合」という考えが成立すると言える。

神の智慧が仏の智慧より劣っていると考えるのは誤りである。
例え優れた哲学者であっても国や組織の運営などには全く智慧開かず無知蒙昧で無能極まる場合があるように、
その分野ごとによって必要となる智慧の種類は異なり、どの分野においてもその分野毎の優れた智慧というものは必要なのであり、
主として自然などの外的なる世界の運営に対して智慧を発揮したる相を神と見、
主として人間の内面的、精神的なる事に対して智慧を発揮したる相を仏と見るような考え方も、一面においては可能であると言える。

ヒンドゥー教(及びその前身であるバラモン教の影響を強く受けた仏教)はそのスケールが異様に大きく書かれているが、これは正に子供が意地になって数字だけを大きくさせたような物だと言える。
ヒンドゥー教の前身であるバラモン教が邪教と書いたが、
しかしその教えの全てがデタラメという訳ではなく、ヒンドゥーの教えの中にも正しい教えは多数含まれているという事を書いておきます。

多神教の主神、或いは創造神のみを神と呼び、他の全ての神を天使とすれば、あくまで構造上はだが多神教は一神教と同じとなり、
また、全ての物が神より生み出されたものであり、全ての物に神霊の分霊が宿っていると考えるならば土着宗教に多いアメミズム的な汎神宗教となる。
仏神一体
一神即多神即汎神

私は在日達を日本から無理矢理にでも追い出すべきであると言っている訳ではありません。
ただ在日達がいつまでも中途半端な立場で日本に集ろうとし続ける事を批判し、その状態を脱却するべきであると言っているだけです。
右翼勢力の一部には在日達を追い出せと息巻く方達もいるかもしれませんが、しかしそれは実現困難な上に政情不安を招く可能性も高く現実的ではありません。
また、もしそれを実行しようとするならば、関東大震災時の虐殺のように人道に反するとして批判されるような事も起こり得る事でしょう。

私は南京大虐殺も従軍慰安婦も731部隊の生体実験も全くの嘘だと思っていますが、
殺害された規模やその原因はどうあれ、関東大震災時の虐殺については本当に起こった事だと考えています。


日本の最近の嫌韓感情や反中感情の高まりから危機感を感じ、また、差別感情に嫌悪感を催す事からも在日達を擁護し、
あくまで何処までも平和主義を標榜し、その為には例え敵意を剥き出しにして攻撃してくる相手に対しても何処までも「話し合い」で争いを回避するべきと考え続けている方もおられるかも知れません。
「話し合えば必ず分かり合える」、「話せばわかる」と。
ところで私の誕生日は「五月十五日」なのですが、この日は戦前「五・一五事件」が起こり犬養毅元首相が青年将校達に暗殺された日であり、
また同時に、暗殺される寸前に犬飼元首相が青年将校達に「話せばわかる」と命乞いをし、その為に死して尚後の世においても「笑い者にされ続ける」事になった日でもあります。
(しかしこの話は青年将校達の嘘で、真実は犬養元首相は命乞いをせずに「やるならやれ」と居直ったまま最期を迎えたらしいですが)
果たして「話せばわかる」と思っておられる方々について何処までの覚悟があるのかは私にはわかりませんが、
しかしその道を盲目的に突き進み続けた結果、最期には犬養元首相のように「死して尚笑い者にされる」ような事が無い事を私はただ願うばかりです。

「平和主義」を標榜する方々については他にも思う所があり、例えば「憲法九条」を守るだのと言って日本国内で暴れまわっておられる方々がおられますが、
しかし尖閣諸島をはじめ日本領海内に度々侵犯したり周辺国の領土を実効支配しようとしチベットでは虐殺さえ続けている中国や、日本国内においても拉致を行い度々弾道ミサイルを発射する北朝鮮、
およびそれと未だ軍事的対立を続け更に竹島を武力で占領している韓国など、日本の周辺国さえこれだけ武力に頼り切り武力で好き勝手する物騒な国ばかりなのであり、
更に世界を見るならばISIS(イスラム国)などの野蛮組織、野蛮国家など枚挙に暇が無く、
平和主義を掲げる方々は、既に戦争を放棄し平和な日本で戦争反対を叫ぶのならば、これらの国や組織に赴いて日本の憲法九条の素晴らしさと、それによって日本が平和になったというその威力を説くなどし、
それらの国などで憲法九条のような平和憲法をつくる為の運動をする等して武力の放棄と戦争反対を叫ぶのが筋であると私には思われます。
それらの国の所業を全く無視して「大人しい」日本でばかりそんな事を叫ぶのは、
「いじめ」が起こった際に「いじめっ子達」を止める処か注意すらせず、いじめの被害者にのみ「君が我慢し続ければ皆に迷惑がかからなくて全部丸く収まるんだよ」と言って泣き寝入りさせようとしているようなものです。
なるほど日本で平和主義を掲げる人間達はこういう心根を持っているからこそ、
平和主義を掲げる「左翼思想」の人間が多い「日教組」の教師達に、「いじめ」を見過ごし隠蔽する者が多いというのも頷ける話である。
彼らは平和主義者とは名ばかりの、単に強い者や声の大きい者に媚びるだけの「事大主義者」どもである。

憲法九条によって日本が平和になったというのなら、他の国においてもそれを広めるべきなのが道理であり、
他の国においてもそれを広めなければ世界平和など実現し様も無いのですが、命が惜しいからなのか、左翼達はそんな事はしません。
平和主義を掲げるのは自分が死にたくないからだ。というのは人間として至極真っ当な意見であると思われます。
しかし、軍隊では何処も戦闘放棄や敵前逃亡は厳罰、時に死罪であり、また戦争に参加する理由も自らや家族を守る為である場合も多かったり、
また戦争中においては当然自らや仲間は常に死の危険に晒され続けるのであり、果たしてそんな中で敵国の連中が「死にたくない」から争いを止めましょうと言って来た所で、「勝手な事言ってやがる」としか思われないでしょう。
実際に争いに来る者達に対してそんな風にしか思われないような「平和主義()」「平和運動()」とやらに一体何の意味があるのかと私には思われます。
まして彼らの運動が平和な現在の日本においてさえ世間一般の人々の感情を逆撫でし、むしろ世間一般の人々の中の反中嫌韓感情をより強め日本の右傾化をより深める結果にさえなっているのですから。

他、福島原発事故でその対応の不手際から菅元首相や枝野元内閣官房長官をはじめ民主党政権にばかり批判が向きがちですが、
2003年に福島原発から電源喪失時に作動する非常用冷却装置を取り外す事を議会決定し、
事態をより深刻化させた原因の一つを作ったのは自公連立政権である小泉内閣でした。

私は民主党(現民進党)の支持者であるという訳ではありませんし、また特定の政党の支持者という訳でもありません。
当時の民主党政権の対応の如何によって原発事故を押さえ込めたかどうかの是非を置いておくとしても、SPEEDIを公開しなかった事やヨウ素剤を配布しなかった事等、
福島原発事故における民主党政権の対応の不手際が原発事故の潜在的、将来的な危険性を高めた事は事実であり、
また外交における媚中媚韓の方針などについても批判的な考えを持っています。
先ほど日本の在日達には密入国者や朝鮮戦争後に来た者達も多いと書きましたが、
確かに終戦直後、戦勝国を名乗って日本各地で暴れ出しGHQから「三国人」と呼ばれ、
「三代目襲名」などでも書かれている(描かれている)通りに各地で狼藉を繰り返したり、
駅前の一等地を不法占拠したり盗品や闇米などを資金源にしたりして今の日本のパチンコ産業やサラ金や闇金などの礎を築いた者達がいたり、
或いは朝鮮駐進軍だのと言って新聞社などを襲撃して言論弾圧しようとした者達などをはじめ、
終戦直後から日本に留まっていた在日達はいますが、
しかし終戦後日本から殆どの在日が朝鮮半島に帰っているように、
また、今尚膠着状態であるとは言え、朝鮮半島全体が戦争状態にある訳ではなく概ね安全であるのに彼らは祖国に全く帰ろうとはしていないように、
彼らの大半は自らの意思で日本に留まっていると言えます。
例えば彼ら在日には先に挙げた事や「通名」のように日本人には無い便利な「特権」があると言われていますが、
もはや祖国も戦争状態ではなく、自分の意思で日本に留まっている以上、既に4世5世となり日本に根を張って生きている為に無理やりにでも出て行けとは言えませんが、
しかし日本でもはや何世代にも渡って暮らせているのですから、日本で生きていく上でそのような「特権」は、もはや彼らには不要であると言えるでしょう。
朝鮮学校も無償化どころか不要です。通名も廃止するべきでしょう。外国人参政権など以ての外です。
ここは日本です。
韓国人朝鮮人として生きたいのなら朝鮮半島で暮らすべきなのです。差別が怖いというのなら、尚更「同胞」達の元に帰るべきでしょう。
まして日本の中で日本人を憎み非難し貶めるような活動を行っているのであれば。
それでも尚日本で暮らしたいのなら帰化するなりして日本人として生きるべきであり、
それも嫌であるのならばせめて朝鮮人である事を隠さずに生きるべきなのです。誇りであるのならば尚更に。

過去の罪がどうであれ、それで集り続けていいという訳でも、まして何をしてもいいという訳でもありません。
そしてその過去の罪とやらにしても本当にあったのかは極めて怪しいものであり、慰安婦問題にしても南京大虐殺にしても証言ばかりで全く客観的な証拠などは一切出ず、
逆に慰安婦については高給を貰って売春婦として働いていたという証拠が出てきたり、
南京事件についてはその証拠写真とされている写真がことごとく「通州事件」という中国人による日本人虐殺事件の時の写真の加工だったり、
非武装の民衆ではなく中国軍(国民党及び共産党軍)の兵なり馬賊なりの死体写真を加工したものなどばかりであり、
あれだけ大規模だと言われている事件であるにも関わらず写真が残っていない始末です。
南京事件の戦犯と言われる者たちの証言についても、家族親族に危害を加える可能性を示されるなどして暗にでも「脅された」のなら、敗戦国で身を守る術などないのですから家族を守る為にでもそう証言する事でしょう。
それでなくとも過酷な取調べ所か捕まった事に対する絶望感からのみですら、やってもいない事を取り調べ官に言われるままに認めさせられる「免罪事件」などこの平和な日本ですら度々起こっているのですから。
そして韓国については、例え慰安婦問題が事実であろうと、安倍首相が謝罪するまでもなく韓国に対しての戦争時の日本の罪は全て、
1965年に結ばれた「日韓基本条約」によってその賠償は全て済んでいます。安倍首相は「余計な事」をしたのです。

そうやって庶民一般の生活や治安を経済の為だの国の財政の為だのと言って悪化させようとしておきながら、一部の富裕層の莫大な金額の税金逃れには目を瞑り続けているのですから、
このような政策や方針に賛同する公明党を支持した所で、未来があるは到底思えません。
それでも学会員の方々の多くは、これは自民と協力して政権を取る為の一時的なもので、ついに公明党が完全に政権を握れば、
財政問題や少子化問題を解決する為のより良い方法を取るように公明党は変わるなどとでも思って、
ただ只管に今までのように公明党を盲目的に支持し続けようと思われるかも知れませんが、
しかし、共産党が政権を握るまで共産主義によって平等な社会が訪れると只管に信じて戦ってきたロシアや中国や朝鮮半島の多くの人々が、
その後、政権を握った共産党によって粛清やら文化大革命やら大躍進やらで、
数千万人もの人々が虐殺や飢饉によって死ぬ地獄に遭遇し、今尚共産主義の理想である平等な社会からは資本主義国よりも程遠い世界に囚われ続けているように、
果たして無理を通せば道理が引っ込むとばかりに公明党を支持し続ける事で未来が良くなると頑なに信じ込んでいる創価学会員達も、
理想を信じ共産党の為に命を張り人生を捧げた末に共産党に粛清された者達が見たような地獄を見る可能性は十二分にあるように私には思われます。
それは彼らの「信仰」そのものについても同じ事が言えますが。

このように富裕層に厳しくすれば、資産家や企業が海外に逃げるという懸念をよく見ますが、
しかし海外への逃亡は、ただでさえ「よそ者」として、下手をすれば移転先の国自体からさえ冷遇される可能性もある上に、
元々の現地民や企業などの反発を押しのけて新たな競争の中で経済基盤を開拓しなければならない等、
実際に海外での事業拡大に失敗しただけで大企業が倒産まで追い込まれる事があるように、富裕層と言えど海外への逃亡は決して容易ではありません。
また一時は海外で成功したとしても、韓国企業に引き抜かれた日本の技術者達が技術を吸い取られて用済みとなった途端に首を切られて捨てられたように、
よそ者に対する反感の中で、移転先で経済基盤を維持し続ける事も決して容易ではなく、
それらリスクがある中で富裕層達がそんな簡単にポンポンと海外へ逃亡するとは到底思えません。仮にそんな簡単に逃亡したとしてそんな連中の大半は失敗してすぐに落ちぶれていく事でしょう。


例えば初の自公連立政権である小泉内閣で推進された郵政民営化や、また現在貧困層が拡大している遠因となっている「労働派遣法改正」などについても、
実は小泉内閣が考えた事ではなく、アメリカから日本へその要望を伝える「年次改革要望書」という文書に記載されていたものであり、
小泉内閣は、実はアメリカの要望に応えただけ、アメリカの「言いなり」になっただけです。
この「年次改革要望書」には、「消費税増税」や「移民政策推進」などについても記載されており、
消費税の8パーセント増税自体は民主党政権時の野田内閣時に提案されたものですが、
しかしそれを破棄せず決行したのは「自公連立政権」である安倍内閣でした。
他にも自公連立政権の政策にはこのアメリカからの「年次改革要望書」の影響が強く反映されており、
つまり自民党、及びそれに追随する「公明党」は、アメリカの言いなりになって行動している面が強いのです。
創価学会員達の中には、公明党は中国や韓国などの為に活動していると思っている者も多いようですが、
しかし実態としては自公連立政権、及び「公明党」は、アメリカに媚を売りアメリカに尻尾振ってアメリカの言いなりになっている「アメリカの犬」であると言えます。
それに協力している学会員達についても。

この「年次改革要望書」は、民主党政権時代には一旦廃止されましたが、しかし「自公連立政権」である安倍内閣の時に再開されています。

現在日本で信者数の多い新興宗教は、宗教の分際で科学を名乗りながらもその実全く科学的合理性など皆無の故人を冒涜し続けるイタコ芸人が教主のボンクラ宗教を除いて、
創価や顕正会などの日蓮系の派生系統、或いは立正佼成会などの霊友会の派生系統などが多く、そして日蓮系は勿論、この霊友会やその派生系統においても題目「南無妙法蓮華経」が主として唱えられています。
他にもキリスト教系団体を名乗りながらも、よりにもよって性欲旺盛で強姦事件まで起こしている性的異常者の朝鮮人男性をキリストより上の救世主だと言って教主として掲げ、
キリスト教の教義を牽強付会し捻じ曲げて教主などの朝鮮人男性とのSEXで霊的に救われるなどという倒錯した頭も気色も悪い教義を掲げ、
霊感商法やマインドコントロールなどを頻繁に行い、合同結婚式などと称して数千人もの日本人女性を韓国の貧農村へ嫁として送り出して現地で(性)奴隷同然の扱いを受けさせるような事も行っているという、
某首相も入信している純然たる朝鮮SEXカルト宗教である似非キリスト教団体も日本においてはかなり信者数が多く、念仏モドキを唱える宗教群をはじめ、どうにも邪教ばかりが日本において勢いを強くしているのは由々しき事態であると言えます。
特に創価と某朝鮮SEXカルトについては、その関係者や関係団体が与党となって政権さえ握っている為に。


2016年の春、中米パナマのある法律事務所が作成した、世界中の富裕層が「脱税」の為に資産を移す租税回避地(タックスヘイブン)に関する機密文書、
通称「パナマ文書」が流出し、その流出当初から安倍政権はパナマ文書の内容に関して追求しない事を表明したのは記憶に新しいですが、
この文書にはロシアのプーチン首相や中国の習近平主席の親族や友人らの名もあり、欧米など先進諸国でパナマ文書が報道され調査を開始した事に対し、
これら共産国家ではパナマ文書に関して報道規制が敷かれましたが、
この事もまた、およそ格差を是正する事をその本旨とするべき共産主義、社会主義がむしろ格差を助長し、格差を固定化させるという事の証左であると言えます。
日本においても報道されこそすれ、安倍政権はこのパナマ文書の追求を回避しようとしました。
日本は今回とは別件で13年の時点で既に、世界中に存在するタックスヘイブンの内、ケイマン諸島だけで1年の税収を超える55兆円以上もの額が脱税されていたと言われており、
日本の脱税額はアメリカに次いで世界第二位の脱税額であると言われています。
そんな中、安倍政権は消費増税を推進し庶民の富を吸い上げようとする一方で、富裕層が脱税する事には目を瞑ったのです。
その後、安倍政権は2017年度に消費税を10パーセントにする方針を取り止め、消費税増税を延期しましたが、
しかしそれは単に経済の見通しが悪化した事からそうしただけであり、例えば消費税増税によって庶民から徴収する分をタックスヘイブンに貯えられた脱税資産から補填する、
或いはタックスヘイブンの脱税資産を追求しない代わりとして庶民にも負担を強いないようにした、などのタックスヘイブン絡みの理由からでは無く、
消費税増税の延長はあくまでパナマ文書とは無関係であり、
またあくまで「延長」でしかなく、自民、公明はいずれ増税して庶民に「のみ」負担を強いようとしている事には代わりありません。
安倍政権は当然自公連立政権であり、公明党も増税自体には賛成していた通りに安倍政権の方針は与党である公明党の方針とも言えます。少なくとも責任はある。
創価学会員には未だ公明党を盲目的に支持する事に「巧徳」があると思っている方が多くおられるようですが、
この事も、果たして盲目的に学会の言う通りに公明党を支持する事が本当に「巧徳」があるのか?巧徳どころかむしろ巨大な「罪業」を負ってしまっているのではないのか?と、
学会員達に問える出来事であるように思われます。

この「パナマ文書」の中には、「創価学会インターナショナル」の名もあるそうです。

自公連立政権である安倍内閣は、財政破綻を危惧しながらもこのように富裕層が税金逃れをして富を蓄えている事を知りながらもそれを追求しようとせず、
消費税を増税して貧困層を含めた庶民からさらに血税を搾り取ろうとし、
さらに安倍内閣は少子化を理由に、欧州において元々の住民達から雇用を奪い更に治安悪化や政情不安を招き問題視されている外国人労働者などの移民受け入れを日本で推進していました。
公明党自体もまた、現実味が薄いと言われる程に余計な手間と税金がかかり新たな利権の温床となるだろう軽減税率制度を併せて提唱していたとは言え、
増税自体には賛成していたのであり、また移民政策についても公明党は賛成していますが、
少子化は貧困層が拡大し、生活において経済的余裕や将来への見通しが立たない若者が増えた事が大きな原因であり、
また移民受け入れによる経済的な恩恵は、しかし治安悪化や政情不安ばかりを招く為にその将来的なリスクと併せて考えた場合、
一時の経済効果の為にその後数千年も廃棄物を管理し続ける為に莫大な費用をかけ続けねばならない原発同様に一時的で微々たるものです。
更にその経済的な効果というのも、移民達への対策や生活保障等の為に税金が支払われて失われる為に、
むしろ国の財政は逆に更に圧迫される可能性の方が高く、
それは日本に密入国し不法滞在していた者や朝鮮戦争の難民としてやって来た者達も数十万人いるという在日韓国、朝鮮人達が、
例えばかつて彼らの内の23パーセントが生活保護を受けていて現在においても4パーセント程度が受けており、
それは日本全体における生活保護需給率である1.7パーセントよりも未だずっと高い水準にある事や、
また大阪や尼崎において数十年以上もの間朝鮮学校の土地代が無償であったり相場の100分の一程度で済まされていたり、
更には三重県の幾つかの自治体では彼ら在日韓国、朝鮮人の住人税が半額であったりと、
これら在日韓国、朝鮮人と言った移民達が国の税収に貢献しない処かむしろ負担になってきていた事からも、
これから増える移民達についても彼ら在日のように国の財政を更に圧迫していく存在になっていく可能性は極めて高いと言え、
公明党が賛成し自民党と一緒になって推進しようとする消費税増税や移民政策は、日本を更なる苦境へと追い詰める政策であると言えます。

日蓮には処刑されそうになった所、処刑人の刀が「光り物」によって折れ(この「光り物」とは雷とも言われている)処刑が取りやめになって死を免れた、「竜の口の法難」という奇跡的なエピソードがあり、
このエピソード等を以って日蓮には仏の加護があるとでも信じている方もおられるかと存じますが、
例えば大阪で児童8人を殺傷した宅間守にも飛び降り自殺しようとして重態になりながらも奇跡的に生き延びるような出来事が起こっており、
またヒトラーも第一次大戦において特に死亡率が高かったとされる情報を伝える役に就いて何度も死地に赴きながらも、時に自らを導く「声」を聞いて死を回避する事などさえも起こり奇跡的に生還しつづけ、
実際にヒトラーは第一次大戦の際に多くの武勲を立てて不死身の男と称えられていたように、
他にも殺人鬼をはじめとした多くの悪党が九死に一生を得たり、あるいはその悪事が奇跡的に露見せずに済みその後も悪事を続けたりといった事は古今東西に数多く存在しており、
奇跡的な出来事があったとしても、それが「仏」や「神」の力によるものとは限りません。
例えば「悪霊」、「悪魔」、「妖怪」等といった存在は、「怪異」という一種奇跡のような事を起こす力を持っていると昔から言われており、
それらは世を乱し多くの人を苦しめ迷わせ地獄に落とす為に利用できると踏んだ者をこそ「強く守護する」ものであり、
それこそが上記悪人達を救った奇跡的な出来事の正体である。
上記の日蓮のエピソードが「嘘や捏造」でなく仮に本当であったとしても、日蓮を守ったのは仏ではなくこれら「魔」の類である。
宅間守も、宅間を生んだ両親も、日蓮系宗教団体の信者であったたという。
創価学会で発行されている聖教新聞では毎日のように学会員達の中で障害を負った人々などが紹介されており、
(よくもまあこれだけネタが尽きない程に不幸な人々が次々と創価からは出てくるものだと思われますが)
それら記事などによれば創価の人々などは障害を持つ子が生まれて来ても試練として受け入れるそうですが、
果たして彼らとて、自分の子が多くの人々の人生を破壊する程の重犯罪者になっても尚そう思えるのか。
それでも尚平気であるのなら、その心性はもはや地獄の悪魔と何ら変わらないよう私には思われます。

悪人達が生き延びるような事が起こるのは今が「末法」の世だからである等と思われる方もおられるかも知れませんが、
日蓮も末法の人間である。
日蓮の信奉者達は日蓮の教えこそが末法において唯一正しい教えだと信じているようですが、
そんな保障が何処にあるのかという話です。
ましてこれだけ矛盾に満ちている上に中身の無い教えなのですから。
日蓮こそ、末法を末法たらしめる悪魔の内の一人である。
創価をはじめ、日蓮の教えを信奉する宗教団体がこれほど世に蔓延し、それでいて尚世が全体において悪化する一方なのがその証拠である。

末法の世において弥勒の現れる56億年後だかまで完全に正しい教えが無くなるなどとは私も全く思っていませんが、
しかし少なくとも日蓮の教えはその正しい教えでは決してありません。


創価学会や顕正会などをはじめ、日蓮系の宗教団体が不特定多数で特定の人物やその周辺に付きまとい、
監視、嫌がらせなどを行う「集団ストーカー」なる事を行っているという噂は昔から絶えず、その真偽の程は不明ですが、
しかしおよそこのような「集団ストーカー」の事を言うと、それに常として起こる反論として、
そんな有名人でも重要人物でもない人間にそんな大勢の人間が付き纏うなんて意味がわからない、
自分の時間を割いてまでそんな事をしてその集団ストーカーをしているというその大勢の人間に何の得がある?などと言う旨の反論が起こります。
しかしネットの世界を見渡してみれば、有名人でも無い一般人の個人情報の特定、そしてその特定した個人情報を元にしての監視や嫌がらせなどは頻繁にネット上での不特定多数の人間によって行われ続け、
最近でも「ハセカラ民」だの「なんJ民」だの「岩けんま民」だのという者達の中に、自分の時間を大幅に割き、自分が直接被害を受けた訳でもない上に、
経済的利益が皆無な処か捕まり裁判沙汰になるリスクまであるにも関わらず、ターゲットやその周辺の人々さえも監視し嫌がらせを繰り返し行うようなしょうもない事を繰り返すクズ共が際限無く発生し続けているのであり、
この「ハセカラ民」や「岩けんま民」の一部などのように、人の監視や嫌がらせなどのしょうもない事をさしたる理由も利益も無くリスクを負ってまで自発的に行うクズ共がこれほどいるという「実例」があるのですから、
利益が無ければ集団でそんな事をする奴はいないという先の反論のような事は、決して断言する事は出来ないという事になります。
まして「教団の為になる」「功徳がある」などと煽られたならば。
果たして噂の真偽の程は私にはわかりませんが、創価をはじめ日蓮系団体などでこのような事が行われていない事を私はただ願うばかりです。

日蓮は念仏を否定しており、私はてっきり「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば救われるというような、
インスタント食品のように手軽で信者を簡単に獲得する為に考え出されたかのような薄っぺらい考えと心性を否定しているのかと思いきや、
自身は南無阿弥陀仏をパクった南無妙法蓮華経などという頭の弱い「念仏モドキ」を念仏ではなく「題目」だなどと屁理屈を捏ねて言い換え、
こればかりを信者に唱えさせているのですから、
仏を拝むなと言って仏自体を軽んじるその教えと併せて、どうやら日蓮は単に阿弥陀仏などの仏自体が嫌いであったり、
念仏を唱える浄土宗や浄土真宗の信者を奪おうと思っていただけであったと伺われます。
仏を嫌い、また信者をつくる事にだけ異常な執念を燃やしていた日蓮について、
私にはどうにも悪霊に取り付かれて半ば気が狂い、権力欲だけが暴走して常軌を逸してしまったという類の人間であるように思えてなりません。

浄土宗、及び浄土真宗をそれぞれ日本で広めた法然、及び親鸞については、どうやら南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われるというような事は言っていないようです。
しかし親鸞については心の中で(心の底から)南無阿弥陀仏と念じただけでも救われるというような事も言っていたそうであり、
またさほど深く考えない信者などは念仏を唱えさえすればいいという風に漠然と思っていた者も多かったと思われ、
例えば戦国時代、各地で仏教の僧達が武装して独自の勢力を築いていましたが、
仏典の教えからいかなる苦境にあれど殺生からは最も遠ざかるべき仏教徒達が、自ら武装し殺生を行うようになった事について、
少なくとも本願寺などの浄土真宗などの勢力については「どれだけ殺しても死ぬ直前に念仏さえ唱え(念じ)れば救われる」という、
念仏の簡単さ気軽さから出た考えがそれを後押ししていた面はあったように思われます。
戦国時代の僧達の武装化については、人の死を悼む気持ちに付け込んで高額を要求する葬式商売をはじめ、
ただでさえ無知蒙昧な信者達からの尊敬と布施によって豊かな生活が容易に出来る為に、本来質素に生き欲を離れて生きるべき所を贅を極め欲のままに生きているような、
狸霊の容器と成り果てた生臭い狸坊主ばかりが量産されがちな所を、
獣の性質そのままに仏教において最も忌むべき殺生を自ら行い生臭坊主から血生臭坊主にまで堕ちていたのですから、
そりゃ信長や秀吉に焼き払われても仕方が無いと言えたのかも知れません。

辛辣な事を書きましたが私は念仏自体を否定するつもりはありません。
題目などとは違い念仏にはある程度力はあると思っていますし、
題目などとは違い念仏に関しては何もしないよりはまだ唱えたり念じた方がいいとも思っています。


学会員の方の中には上記の事を見て信仰が揺らぎ、自身が今までやって来た活動とは何だったのかと思われる方もおられるかも知れません。
しかし、彼らはこれまで「人間革命」などと称して、周りに対し意識改革を迫り続けてきたのです。
人に対して今までの信仰や考えを捨てよと迫ってきたのですから、自らも誤りがあれば例えその誤った考えに今まで縋り続けていたとしても、
それを心の中でだけでも捨てて自らの中でも「革命」を起こさなければならないというのは一つの道理であると言えるように思われます。

私は元創価学会員ですが、
そこで創価学会員達が普段唱えている妙法蓮華経(法華経)の「方便品第二」について、
「智慧ではどれだけ頑張っても仏の智慧(悟り)を得られないから、疑問に思わずに只管仏の教えに従うべき」という旨の事が書かれていると教えられた事があります。
狭量な先入観や偏見が新たな発見や理解や智慧から人を遠ざける事は確かであるとは言え、これはおおよそ思考停止させて洗脳するカルトや詐欺師に利用されるような教えではあり、
創価をはじめ日蓮系が方便品第二を重視して読ませているのはその意図からだと思われるのですが、
しかしこれには続きがあり、
方便品第二では、釈迦(釈尊)の智慧に優れた弟子(舎利弗)がそれに納得出来ずに釈迦を問い詰め、釈迦はついに仏の智慧とは「衆生を仏へと導く事それ自体の事」であり、
他の教えはあくまでその一部分、或いは仏へと到らせる為の方便である、という旨の事を弟子達に教えています。
どうしてその「仏へと導く事」という教えがいくら智慧を絞ってもわからないのか、その理由については妙法蓮華経にも書いていませんが、
凡そ「見本が無ければ目指しようが無く、そもそも目指そうとも思わない」という事からだろうと思われます。
信仰によって仏や仏から垂れる歓喜なりに触れるなどして具体的なる目標や動機が与えられなければ、
幾ら智慧があっても仏を目指しようが無く、また目指そうとも思わないというのは、
現在において仏教徒などよりも遥かに智慧に優れた科学者などの大半が全く信仰とは縁遠い場所にいる事などもその証左の一つであるように思われます、

方便品第二では智慧だけでは仏の智慧に到れないとも、また疑問に思ってはいけないとも言っていますが、
しかし全く智慧自体を捨てろと言っている訳ではありません。
仏の教えの断片とも言える他の教えを理解するのも、また方便を使うのも智慧が必要です。
また、釈迦が只管に従うべきと言っているのは「仏」や「仏の教え」についてであり、決して「間違った教え」にまで盲目的に従えとは言ってはいません。

「仏の智慧(悟り、妙法の蓮華の教え)」が「衆生を仏にする事それ自体」というのは何とも曖昧に思えますが、
「仏の智慧」「悟り」「妙法の蓮華の教え」が「特定の具体的なる教え」であればそれを知りさえすれば別にいちいち人に教えを説いて導いたり修行したりしなくても「仏となれる」という事になる為、
やはり「仏の教え」「悟り」「妙法の蓮華の教え」は、やはり特定の具体的なる教えでは無い事になります。

文字自体を拝んでいるというその間抜けさの通りに、
また先に書いたように妙法蓮華経自体に仏や菩薩に拝めと書いている通りに、
神仏に拝まずに教えにのみ従っていればいいという日蓮の教え自体が間違いである。
そんな事は妙法蓮華経にも書かれてはいない。
こんな支離滅裂で矛盾に満ちた日蓮の教えに従って南無妙法蓮華経と唱え、またこの文字に拝み続けた所で、
助けてくれるとしてもそれは悪霊や悪魔の類ぐらいである。
日蓮がどういう意図の下で仏や神に拝む事を禁じさせたのか、その事についてよく考えられた方がいいだろう。

南無妙法蓮華経という言葉自体に力があるなどという事を創価などは言っているが、噴飯ものの苦しい言い訳である。
そんな事を言うなら元々のサンスクリッド語や中国語で唱えたらどうなのかという話になるが、
それについても妙法蓮華経に帰依しますという意味であるならどんな言語で言ってもいいと言い出すのだろうが、
先に書いたようにその妙法蓮華経にはそもそもそんな事は書いていない。

創価学会員などが只管何時間も南無妙法蓮華経と唱え続けている通り、
彼らは只管喧しく題目やら経典やらを唱え続ける事が良いと思っているようだが、
妙法蓮華経には「瞑想」によって悟りへの道を開く、などの旨の事も書かれており、実際に釈迦が悟ったのは瞑想中の事であり、
彼らの如くに口喧しく何時間も何かを唱え続ける事は「瞑想」とは全く程遠い行為であると言えるだろう。
まして彼らが唱えているのは仏典には全く「唱えよ」と書かれていないような意味の無い言葉なのだから。
尚、これは仏典などを声を出して説く事や読む事自体を否定している訳ではない。

妙法蓮華経には確かに(あくまで仏典において)最高の教えであると書かれていますが、
日蓮が言うような他の仏典の教えは知らなくてもいいという事や誤りであるというような事は何処にも書かれていません。

創価などの日蓮系統では日蓮の教えと妙法蓮華経の教え以外は「謗法」と言って邪教の教えだとしていますが、
妙法蓮華経に帰依すると言っておきながら全くそれに反している日蓮の教えこそが「謗法」であり、
また妙法蓮華経には自らを悟ったと思い込み誤った教えを説く「高慢自惚れの僧」の事が書かれていますが、
全くこんな支離滅裂で中身の無い教えを只管に広めようとする程に自らの正しさを信じて疑わない日蓮とその教えに従う信者達はまさしくこの「高慢自惚れの僧」である。
創価などは僧ですらないが、僧籍にすら入らずに自らを正しいと信じ込んでいる分だけ僧よりも彼らの方が自惚れが強いと言えるだろう。


有名な創価学会の池田大作は名前も知らないような外国の大学などからやたらと賞を送られているそうだが、
全く以ってその思想や活動などの有益性について語られる事が創価学会以外の世間一般において皆無である通りに、
その溜め込んだ莫大な資産の額と愛人の数に比してもその思想や活動には語れる程に中身がなく、まさに「有名無実」、形ばかりで中身の無い日蓮の教えの象徴とも言えるだろう。

私は「妙法蓮華経」自体を否定するつもりはありません。
ただ「南無妙法蓮華経」という文字をはじめとした日蓮の教えを否定しているだけです。

真火


「妙法蓮華経」(法華経)には、「南無妙法蓮華経」と「唱えれば」功徳がある、或いは救われる、或いは仏へとなれる、或いは御利益がある、
などというような事は「一切書かれていない。」

「南無」とは頼みます、帰依しますという意味であり、南無妙法蓮華経とは妙法蓮華経の教えに帰依しますという意味だそうですが、
その「妙法蓮華経」自体には「唱えろ」と書かれていないような事ばかりを唱えていて、果たして何処が「妙法蓮華経」の教えに帰依しているのか、という話である。
創価学会をはじめとした日蓮系の宗教では「南無妙法蓮華経」と只管に唱えるべきだとされていますが、
しかし妙法蓮華経の教えに従いますと言っておきながら、実際には全く妙法蓮華経の教えとは異なる事ばかりを行っているのですから、
「南無妙法蓮華経」と唱えるべきだという日蓮の教えは、全く以って支離滅裂な、中身のない口先だけの教えであると言えます。

創価学会をはじめとした日蓮系統の宗教団体では、仏や神や祖霊などではなく「南無妙法蓮華経」という「文字」を拝む。
これは例えば妙法蓮華経の教えを司る、或いは教えを守る仏や神や霊などではなく、正真正銘その「文字自体」を拝んでいる。
何故ならば日蓮が仏や神や霊を拝む事を禁じたからであり、そもそも彼らが仏や神ではなく南無妙法蓮華経という文字を拝んでいるのもこの日蓮の教えの為である。
先に書いたように妙法蓮華経には南無妙法蓮華経と唱えろとは一切書かれていない事と同様、
「南無妙法蓮華経」という文字を拝めというような事も一切書かれてはいない。
彼らは南無妙法蓮華経という文字に拝む事で妙法蓮華経の教えに帰依出来ているとでも思っているようだが、
やはり妙法蓮華経に書かれていない事ばかりを行っていて何処が帰依出来ていると言えるのかという話である。
仏や神を拝まなくても妙法蓮華経の教えに従っていれば仏や神は勝手に助けてくれると日蓮はほざいていたそうだが、
その日蓮の教えの通りならば妙法蓮華経の教えに従っていない彼らは仏にも神にも助けて貰えないという事になる。

しかも妙法蓮華経自体には如来神力第二十一などで仏や菩薩に拝めとしっかりと書かれており、
仏に拝むなという日蓮の教えは妙法蓮華経に反した全くのデタラメである。
また他にも数多の仏に「会い」、数多の仏を「供養」して仏となる(覚りを得る)とも頻繁に書かれており、
これは創価をはじめ日蓮系宗教の信者達がいかに妙法蓮華経の教えに従いますと口先で言っておきながら、
全くその中身を知らない事の良い証左である。

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